コラム

プロが語る子育てのヒント 第39回「工夫とアイデアであそびも人生も面白く」

為末 大 さん(アスリートソサエティ 代表理事)

あそびのもり 2016年 45号より

元プロ陸上選手で、現在は子どものかけっこ教室を手がけている為末さん。体遊びを楽しむヒントや体験して育まれる力についてうかがいました。

「父子チャレンジアカデミー」では、トップアスリートの指導のもと、運動を通じて親子の絆を深めるためのプログラムを行っている。

あそびを設計する

僕が生まれ育ったのは、広島県佐伯区というところです。瀬戸内海に面していて、標高千メートル級の山もいくつかあります。子どもの頃は山を駆け上ったり、海で泳いだり、自然の中で思いきり体を動かし遊んでいました。

新しいルールを考え出して遊ぶのも好きでした。たとえば、学校から家にたどり着くまでには、いろいろなルートがありました。それぞれ道中の自分の歩数を計っておいて、今日はぴったり何歩で家に着くこのルートで帰ろうと決めて、同じ歩数で帰れるかどうか、また計りながら帰ってみたりしました。

ルールをつくるということは、行動に制限が生まれるので、成功することもあれば、失敗もします。この失敗することも大事なことだと思うのです。もう一回挑戦してみようと、チャレンジ精神が芽生えたり、違う方法をまた考えて試してみようというふうに、新しいアイデアが生まれていくことにもつながっていくからです。

近所の子どもたちと遊ぶときにも、僕が考え出したルールで遊びました。ドッジボールをしているときに、途中から2個ボールを使ったり、陣地の面積を狭くしてみたり。毎回、ルールを変更して、どういうふうにしたらみんなが面白いと思うだろうと、常に考えていました。

僕はガキ大将だったので、それを考えるのは自分の役目だと勝手に思っていたんですね。遊ぶことはもちろん、そういうことを考えるのがとにかく楽しかったんです。子どもの頃はそんなふうに「あそびを設計する」というか、今でいう「ファシリテーター」の役割をしながら遊んでいたように思います。

  • 参加者の心の動きや状況を見て調整しながら、プロセスの舵取りを行ったり、プログラムを進行していく人。

僕自身がまず楽しむ

自分の子どもと遊ぶときも、毎回、いろいろな工夫を凝らしています。息子は1才半で、言葉はまだ「マンマ」ぐらいしか言えませんが、視覚機能のすごさに驚いています。僕の体の動きを目で見て、ひたすら真似をするんです。それもある種のあそびですよね。

今、ジャンプを教えているところで、目の前で僕が飛んでみせると、それを真似て息子もジャンプをします。床からポンと足を離す感じがわからないようで、屈伸しているような動きをするだけなんですけれど、だんだん上手になってきています。今は何でも見たものを模倣するので、面白いですね。

オセロでも、息子は積み木のようにどんどん石を積んでいくゲームとして遊びます。積み上がったところで、僕は新しいあそびのルールを考えて、今度は積み上がった山にボールをぶつけてこわすというあそびに変えます。そうすると、息子は僕の真似をしてボールを投げてこわして、また石を積み重ねてということをくり返します。興味を示さない場合は、違うあそびの工夫を考え出します。

そうやって子どもと遊ぶなかで学んだことは、僕が息子に合わせて遊ぶのではなくて、僕がまず楽しむことが重要で、その姿を息子が真似するのが大事なんじゃないかなということです。一緒に夢中になって遊んで、お互いに作用し合うなかからいろいろなものが生まれていく、それがあそびの面白いところなんだなとあらためて思っています。

擬態語から感覚をつかむ

僕は子ども時代も、息子と遊ぶときも、工夫ということがいつもテーマにあります。やはりあそびというのは工夫することが大事で、そこに一番の面白さがあると思うんです。6才から12才ぐらいの小学生を対象にした、子どもたちのかけっこ教室を開催しているんですね。決められた型を学んだり、言われたことをこなすのではなく、子どもたちにも自分自身で工夫しながらやり方を考えるように意識的に指導するようにしています。

  • 6才から12才ぐらいを対象にした「為末大学ランニング部」では、ハードルをはじめ、走幅跳び、リレー、持久走、縄跳び、器械体操など、子どもたちにさまざまな運動に親しんでもらうプログラムを行っている。

大人になると、寄り道をしたり、余計なことを考えたりするのは無駄なことだと思われたりしますよね。でも、実は一見無駄なことのように思われるなかに驚くような発見があったり、頭のなかで遊んでいるなかからいいアイデアが生まれたりするものじゃないですか。

子どもたちに、そういう「あそびの余白」を残してあげたいんですね。たとえば、ボールをここから向こうに投げるというお題だけを出して、もっとも速い投げ方を子どもたちに考えてもらったり。バッティングでは、「構えるときにこうやって肘をしめて、このときにバットを出すんだよ」というふうに決められた型を教えるのではなくて、「ボールを遠くに飛ばすんだよ」「どんな形で飛ぶんだろうね」と言って、遠くに飛ばす方法を自分で考えてもらうのです。

最初から決められた型を教わると、その通りに動くことに一生懸命になってしまって、ほかのことを発想しないまま終わってしまいます。ですから、子ども時代にあそびやスポーツを通して、そういう自分で創意工夫ができる余白を残したいろいろな体験をしてもらいたいと思っているんです。

僕の教室のプログラムの最後には大体、ハードルを飛ぶんですが、これもはじめから正しいフォームを教えるのではなく、一つか二つアドバイスするだけで「あのハードルを飛び越えさえすればいいよ」と言うぐらいにしています。

ここではひとつ問題があって、小学6年生くらいになると、「ひざを上げて、肘を引いて」と言っても理解できるのですが、小学3年生ぐらいまでの子どもは、まだ言葉から体の動きをイメージすることができないんですね。動作を具体的に、詳細に説明すればするほど、体の動きがぎこちなくなってしまうのです。

そこで「ぴょーんと飛び越えてみよう」「びょん、びょんと飛んでみよう」という擬態語を使ったりもします。頭で考えるのではなく、体でその感覚をつかみ取っていくのです。

何度も飛んでいくうちに、だんだん自分の体をコントロールできるようになって、自分の「体の操り方」がわかってくるようになります。それがわかるようになると、いろいろなことができるようになるので、体を動かすことがさらに楽しくなってくると思います。

多様な体験と創意工夫

自分の子ども時代と比べると、現代の、特に都市部で暮らす子どもたちは、自分の体を自由に動かして遊べる場所が少なくなってきていますよね。都市部と野山のある地方で生活する子どもを比べると、足の速さなどはそれほど変わらないのですが、一番違うなと感じるのはバランス感覚です。

自然の中でいつも体を使って運動している子どもは、何かの拍子に体勢がくずれたとき、転ばずにグッと体を立て直す身体能力が高いような気がします。野山の地面は土で、葉っぱで覆われている下はどんな固さかわかりません。足が当たった瞬間に、想像していたものと違う反応がかえってくる場合もあります。柔らかかったり、固かったり、何か枝のようなものがあったりするかもしれません。

そうした体験を日々積み重ねていくことで、想定していないことにも瞬時に対応できる感覚が磨かれていくのだと思います。運動神経が開発されやすい時期は、10才頃までと言われています。子ども時代に身体的な体験をたくさんすること、それもできるだけ多様な体の動きを体験することが大事だと思っています。

そして、やはり自分自身で工夫する力を身につけることが大切だと思います。それはあそびやスポーツだけではなくて、世の中のすべてのことに応用できるんじゃないかと思うのです。生きていくなかで、自分が今、どうすればいいかという試行錯誤が誰にでも常にありますよね。いつも自分で工夫して考えることができれば、人生そのものがあそびと感じられるようになって、すべてのことが面白くなるのではないでしょうか。