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SPECIAL INTERVIEWS小さな町で進む
変革

Vol.61Summer & Autumn 2024

大日向(おおひなた)小学校長野県南佐久郡佐久穂町
日本初のイエナプラン教育認定校として2019年の開校以来入学希望者が増え続けている。生徒も先生もみな移住者。「年齢も考え方も違う集団の中でお互いに助け合いながら成長する」ことを大切に、探究心や自立した判断力を育む。
写真・文:中西あゆみ
フォトジャーナリスト・ドキュメンタリー写真家・映像作家。東京とジャカルタを拠点に家族やコミュニティ、子どもたちを取材。人々に援助の手を差し伸べるパンクバンドの長編ドキュメンタリー映画はシリーズ化して制作・更新。

ニワトリの命をしっかり管理しているから抱っこされても怖がらない」そう話すのは5年生の永井由斗くん(10)。この半年間、探究活動のなかでニワトリのお世話をすることに全身全霊を注いでいる。「クロ、アカ、シロ」の3羽のニワトリがいるが、「クロちゃんは毎日1日2個ずつ卵を産む」。それを「食べたり孵化させたり」しているそうだ。夏休み中は特に毎日のようにお世話をしたので、ニワトリからの信頼はとりわけ厚いという。

由斗くんは「生き物に対してすごく愛が深い」と母親の桂子さんは話す。「夏休みにはクワガタとカブトムシも甲斐甲斐しく家でお世話していたが、死んでしまったときにはボロッボロと泣き、『そこまで傷つくものなのか』」と気付いたという。

  • 由斗くんの母 永井桂子さん

長野県の東部、佐久穂町にある日本初のイエナプランスクール認定校 大日向小学校に通わせるため、3人の子どもたちと1年半前に母子移住した永井さん一家。夫は長野県の地元に残って仕事を続けている。東京育ちの桂子さんは、「選択肢がたくさんあるのが当然だと思って生きてきたなかで、選択肢の少なさに息苦しさを感じていた」。子どもたちが習いごとに忙殺される毎日を見ていて、「今楽しくないよね?」と。これをリセットしたいという思いがあったという。

  • 由斗くんの母 永井桂子さん

当時学校で、「もっとやってみたい」と子どもが言ったことが「和を乱す発言」だと担任に言われた。それが「決定打」だったと桂子さんは言う。「自分がやりたいことは口に出していい。やりたいことをどう叶えていけばいいのかも自分で考えてほしい。そういう環境を求めてこの学校に決めた」。ここでは「『どんどんやりなさい』と言ってくれる」

「子どもたちには自分をしっかり持って生きてほしいから、いろんな価値観の中で育てたかった。『普通』なんてないと知ってほしい」。今では「のびのびするようになったのと、きょうだい3人でたくさん話をするようになった」。2年生の万帆ちゃん(7)は、人の話をよく聞き、親の考え方を聞くようになったし、13歳の史乃ちゃんは中学生になり、勉強が楽しくてしょうがない。校内に保護者自らが立ち上げた学童で桂子さんはスタッフとして働いている。母子だけで大変なこともあるが、「3人ともよく手伝ってくれるようになって、本当にありがたいです」

人とはかけがえのない存在

2019年に開校したばかりの学校法人茂来学園大日向小学校では、「誰もが、豊かに、そして幸せに生きることのできる世界をつくる」ことを建学の精神として掲げ、「学校はその理想の共同体になること」を目指している。ドイツで生まれオランダで広がったその教育法のユニークな点は「このやり方をしましょう」の前にしっかりとした理念があることだと久保礼子校長は言う。

「それはとても普遍的なもの。人とはかけがえのない存在。社会とは違いを認め合うところ。そして学校とは、それのできる人たちを育てる場所である」との理念が込められている。

開校当時一年生だった児童は現在5年生になった。「発達がデコボコだった子たちが、お互いのデコボコを理解し、その中で集団を作っている」と久保校長は言う。「居心地の良さ、イエナプランが目指すのはそこの部分。デコボコあっていいよ。あなたはそこに存在していいんだよっていう、その関係性が大切。そこから人は伸びていく」

日本イエナプラン教育協会を立ち上げた第一人者でもある久保校長は、福岡県で中学校の教員を33年間務めた。教員当時、「先生という人が子どもという人に何かを教えることに疑問を持ってしまった」と話す。「いい授業を作らなければと一番勉強して頑張っていたのは自分。子どもたちが頑張るべきところを私が取ってお客さんにしてしまっていた」。2年間休職し、海外の学校を訪れながらイエナプラン教育について学んだ。「その中で見たものは日本とは根本的に違い、子ども自身が学ぶことを体現していた。私が色々調べて、『こうなのよ、わかった?』というやり方ではなく、『一緒に考えよう』という授業の構成にするアイデアがたくさんあった」

大日向小学校では異年齢での学習活動を行い、1・2年生、3・4年生、5・6年生が同じクラスで学んでいる。教員全員が「グループリーダー」としての役割を果たす。全ての子どもを全職員でサポートするという考え方に基づき、常に複数の教職員が出入りする。教師と生徒同士で「フラットな関係性を築きたい」から、「先生」ではなく、それぞれが呼んでほしい名前で呼ばれるそうだ。「大人が全てわかっていて、子どもはそれに従うだけの関係性にはしたくない」

  • 校長 久保礼子先生

「このグローバル化の中で、学習指導要領の内容も主体性やクリエイティビティ、多様性を認め、協働するスキルなど非認知能力へのシフトが進み、イエナプランも多くの共感を呼んでいます。私たちにはこれをどう確かなものにするかという責任がある。一人一人を本当に大事にするところ。みんな違っていていいということ。その理念は間違いないと確信しているから、これがブームに終わらずに確かな人を成長させる一つの方法となっていけばいい」と久保校長は続ける。

「一条校として学習指導要領に則った学習を進めている。やり方やアプローチが違うだけで特殊な勉強をしているわけではない。重要なのは、私たちがその内容をどれだけ深く理解し、どれだけ深く体現させることができるか。子どもたちと共に考え、どのような力を伸ばすことができるかをリーダーたちが読み取り、それに基づいて授業を構築しています。教員にも主体性が求められ、自由と責任、クリエイティビティ、批判的思考も求められます。子どもに求めているものが大人にも同じように求められるのです」

午前中の「ブロックアワー」では、グループリーダーが一週間の課題を設定し、計算や漢字などの基礎的な学習を行う。できることに個人差のある課題に対し、子どもたちは各自で時間割を組み、自分のやり方で進める。黒板に向かって座る必要もなければ、廊下でも、寝そべってでも、学習スタイルは自由。一日一つ進めると5日で終わるが、月曜日に全て終わらせて残りの時間はプログラミングなど独自の課題に取り組む児童もいる。

自分はできるという思いをどう育むか

1年生の頃から知っている今の3・4年生は、自分たちでどんどん世界を広げている」と、3・4年生のグループリーダー・原田友美先生は感じている。演劇をやりたいという声があり、子どもたちは好きな漫画をアレンジした台本の作成から衣装の製作まで全てを分担し、最後は全校生徒の前で披露した。その過程で、原作者にも連絡を取り、動画も見てもらったという。自分たちで全て行った経験を通じて「充実感を味わうことができ、やればできるという自信にもつながった」

「グループリーダーは、コーチングをしたり一緒に考えたりしていく人。その子がより良く生きていくためのお手伝いをしていくような立ち位置」だという。「勉強がどうしても進まなかったら、一緒に解決策を考える」。最初はできない子どもでも、話し合いながら時間をかけることでできるようになっていく。

  • 3-4年生夕焼けクラスグループリーダー
    原田友美先生

休みがちだった児童が、最近では「今日も漢字がうまくいった」と感想を書くようになった。「先週、『勉強がたのしかった。はるさんありがとう、いつも』と書いてあり感動した」と“はるさん”こと原田先生は言う。「やってないことを怒ったり、なんでやってないの?と言ってしまうとやる気なんか出ないので待つようにしている。人生の2、3ヶ月間何もやらなくても、自信をなくすよりいい。その子が本当にやりたいと思ったら学習は追いつく。自信とやる気と、自分はできるんだという思いをどう育むかが大切」

  • 3-4年生夕焼けクラス
    グループリーダー
    原田友美先生

以前は公立小学校の教員だった原田先生。「子どもたちのやる気や自尊感情を大切にすれば学校はもっと楽しい場所になるはずなのに、誰かよりうまくできたら安心し、できないと不安になるような場所に疑問があった」

「ここでは、やりたいことを実現できるチャンスがたくさんあるから、子どもたちがいろんなことをやりたいと言います。言った方が楽しめる。それに向かって自分たちでガンガン進めていく力がすごくある。どんな子どもでもそういう環境だったら、やりたいしできるのに、それが用意されない環境に長くいるとやれなくなってしまう」

大日向小学校では、昨年まで1、2、3年生と4、5、6年生が同じクラスにいる三学年制だった。現在は二学年制を導入しており、異年齢での学習活動を重視している。それにより「人はみんな違うのが当たり前」だということを早いうちから受け入れられるようになるという。「一学年しかいないというのは考えられない」と原田先生は言う。

「三学年制は一番下でみんなからサポートされ、真ん中で状況をよく知って引き継ぎ、一番上になり1年生もいる経験が意図されていました。普段の生活は面白かったけれど、学習面では難しかった。今はすごくスムーズにいっています。まだこの学校は5年目。これからも試行錯誤しながら一つ一つ決めていかないといけないですね」

娘は圧倒的に楽しそうです

4年生の寧々ちゃん(10)の両親、若松義秀さんと真紀さんも賛同する。

「今は二学年制だけれど、三学年制を経験できたのは大きいです。1年生のときにお姉ちゃんがいて、好きなお姉ちゃんができると楽しくなって。寧々は『自分が3年生になるとちょっと緊張する』って。『お姉ちゃんしなきゃ』っていう意識が少なからずあるんですよね。ちゃんとしなきゃって。その異学年制というのはすごくいいことだなっていうのと、スペシャルニーズがある子、特性の強い子も、みんな一緒に遊んでいます。全然分け隔てないので、最初から混ぜるべきだというのが見ていてすごくよくわかります」と義秀さんは言う。

「娘は圧倒的に楽しそうです。わかりやすいのは、長い休みの終わりぐらいになると、『来週から学校始まる、あと3日で学校始まる』ってカウントし始めるんですよ」と義秀さん。「『やっと長い休みが終わるー!』って」と真紀さんも言う。「毎日本当に楽しそうです」

学校での出来事を事細かに報告してくれることにも驚いているという。

「だいたいお昼ご飯から入るんです」と真紀さんは笑顔を見せる。「ほんとにここは給食が美味しいので毎日ご飯が楽しみみたいで、まず今日はこういうお昼だったの後に、学校でこういうことがあってねって話をする。イエナプラン教育では対話をすごく大事にしています。子どもたちで話し合う場も多いし、大人とも対等に話をする機会が多い。だからか子どもがちゃんと話し合う姿勢を持ってくれます。子どもたちで喧嘩が起きて意見が分かれると、みんなで『じゃあ一回話し合おう』と。なんで揉めたのかをそれぞれが話し合って『これは悪い、ここはいいんじゃないか、じゃあどうしたらいいだろう』って。意見が違う者同士がきちんと向き合って、話し合いを持とうとしている」

  • 寧々ちゃんと両親、若松義英さん・真紀さん

大日向小学校に娘を通わせるため、伊豆から教育移住した若松さん一家。オランダの教育に共感し、移住を検討したことも。しかし「イエナプランスクールが日本にできることを知って、長野に行こうと迷いなく移住が決まった」と真紀さんは言う。

  • 寧々ちゃんと両親、若松義英さん・真紀さん

「ここでは子どものことを考えているというのがすごく感じられる。上から大人たちがトップダウンで決めた世界を子どもたちに過ごしてもらうのではなく、子ども主体だけれども、大人たちが周りでサポートするという教育方針に惹かれた」

保護者もまた学校の活動に積極的に参加し、共に子どもたちの成長をサポートすることが「大きな柱」になっていると義秀さんは言う。保護者が得意分野を活かしてプロジェクトを立ち上げるというが、「僕は内装の設計とかして物を作るのが好きなので、校庭魅力化プロジェクトと言って、中学校を建てる前に元々あった幼稚園の廃材を使って、何人かの保護者と遊具を作っています」

「小さいグループでプロジェクトが動いて、そこで交流があります。町の方でも、移住してきた親御さんがいろんなお店を始め、そこでイベントを開催したりしてみんなが集まります。そうした自然な形でお互いに関係性を築いています。年数をかけてお互いの関係が発展し、ゆっくりとコミュニティができていると感じます」と真紀さん。「学校が大切にしていることの一つが『共につくる』こと。親の方も積極的に関わらないと一緒には作れないと思っています」

児童全員が移住者

現在通う172人の児童全員が移住者で、そのうち7割は県外出身者だというが、創立時から家族で移住して入学してもらうことが前提だったと中正雄一理事長は言う。それにもかかわらず、入学希望者は増え続けている。
関東を中心に188(2024年3月時点)の保育施設を持つグローバルキッズ社の代表取締役社長であり、学校法人茂来学園理事長を兼務する中正氏は、もともと「大学までやろうと宣言して起業した」という。「子どもたち一人一人を丁寧に、大事に見ていきたい。自分たちが0歳から見てきた子たちを大人になるまで見たいという夢があった」。2019年4月に大日向小学校、一昨年4月には小学校の隣に大日向中学校を開校。2025年には同じ地区内に高校の開校も目指す。いずれもこの町で廃校になった公立校の校舎を再活用している。

最初は地元の人たちに受け入れてもらうことが課題だった。既に廃校になっているとはいえ、地域の人々にとって「親の代から通っていた学校を何に使うんだ」という不安が漂い、良い雰囲気とは程遠い状況だったという。

そんな中、「二回目の説明会で真ん中に座っていた年配の方が、『夢だ!俺らの夢だ!学校を作ってくれるのはいいことじゃないか』と言ってくれてから雰囲気が変わりました」。その後、準備期間を経てついに開校の報告をした日は、40〜50人もの町民が集まってくれていた。「『開校します』と言った瞬間にみんなが拍手してくれて、泣きましたね。ああ受け入れられたんだなあと思って。やっぱり地域の人の応援がないと学校は開校できないので」と中正理事長は言う。「ここは昔、大日向小学校だったんです。それが、佐久東小学校になって。僕らは大日向小学校っていう名前に。学校の名前も地域の人たちと考えました」

現在、旧佐久東小学校の卒業生が教職員に一人いるそうだ。彼女が中心になって、当時の校歌を子どもたちに教え、新たに生まれ変わった大日向小学校の開校式で歌うことになったという。「児童全員で歌ったとき、来てくれていた町の人たちがみんな泣いていました。おじいちゃんおばあちゃんが、自分たちが昔歌っていた歌をまたこうやって歌えることに、ありがたいって言ってくれた。びっくりしました、みんな歌えるんですよ。町の人たちがみんな一緒に歌っている姿に、本当に感動しました」

  • 学校法人茂来学園理事長 中正雄一さん

中学生のとき、学校に行けなくなった経験があるという中正理事長は、「悩んでいるときに『それでいいんだよ』と言ってくれる人がいるだけで、どれだけ気が楽になるか」と語る。「一緒に働いてくれる先生方が、ただ教えるだけではなく、子どもたちがその人らしくいられるように寄り添っていける人たちであってほしいと思っています」

  • 学校法人茂来学園理事長 中正雄一さん

「子どもがまずは自分のことを大切だと知る、その順番が大事。誰かから大切にされないと自分が大切な存在だとわからない。保護者や学校が一人一人を愛し、子ども自身が自分は大切な存在だと理解したら、他者との関係もうまく築いていけると思います」

多様な人材が増えた

「町にとって子どもの声は喜ばしいこと」だと言う佐久穂町役場 総合政策課政策推進係 係長の市川智英さんは「役場は、大日向小学校と地元の方々との繋ぎ役」を担ったと話す。人口減少や少子化で、その地区に6校あった公立小中学校は1校に統廃合された。その後、学校跡地の利用検討委員会が開かれ、「子どものために活用してほしいという方向性がうまくマッチした」というが、子どもが減り、学校が1校となった町に新たに私立校を作るというのは画期的な決断だ。最初はどんな人たちが来るのかという心配の声もあったが、交流の機会を大切にしながら両者が関係性を育んだという。

大日向小中学校の影響で「元々いなかった多様な人材がすごく増えたというイメージがある」と市川さんは言う。地域おこし協力隊や集落支援員のような事業では学校関係者の雇用が増えたそうだ。さらに、昔は林業で栄えた繁華街がシャッター街になっていた東町商店街の空き店舗を利活用し、保護者たちが新しい店を次々とオープンしているという。その中の一つ、「カフェ&バー、シェアスペース、子どもの居場所」としての幅広い機能が備わる「KOKYU(呼吸)」は、一昨年7月の開業以来「地域のコミュニティ作りの場」になっているとオーナーの谷崎麻紗さんは言う。「日替わりオーナー制」の導入や移住者のためのワークショップの開催、店内には子どもたちが放課後に立ち寄りくつろぐことができる「みんなのおうち」がある。雄大な景観を目の前に望むサウナも完備し、宿泊施設を作る計画も進行中だ。

約1万人が暮らす佐久穂町では、子どもたちがのびのびと育つ町として子育て支援にも力を入れている。廃校の一つを活かしたこどもセンターを2018年に開設。小中一貫の公立校では「9年間を通した指導カリキュラム」と共に、英語やキャリア教育を率先して行っている。出生率は減っているものの、入学の割合は減っていないと佐久穂町役場の市川さんは言う。「町や公立校に魅力を感じてくださって移住されている方々もいるのかも知れない」

  • 佐久穂町役場 総合政策課政策推進係
    市川智英さん

「浅間山、八ヶ岳、茂来山、千曲川など大自然に囲まれた美しさや、山の美味しい水が水道から出てくることの貴重さなど、移住者の人たちがこの町の魅力を再発見させてくれました。世の中の生活様式が変わってきている中で、昔のことが当たり前ではなくなってきています。この地に長く暮らしている人々と新しい人たちがさらに歩み寄っていければ。お互いが尊重し合いながら変わっていけるのが一番だと思っています」。

  • 佐久穂町役場 総合政策課政策推進係
    市川智英さん

「自律した多様なコミュニティが人々の暮らしを支え、挑戦や行動を支援する町」を目指す佐久穂町では、まさに新たな文化を生み出すエネルギーと、それを柔軟に受け入れ共に築こうとする人々に見守られ、子どもたちがスクスクと育っている。

大日向小学校は、元々この地区で一番日当たりの良い場所に建てられていた小学校の廃校舎をそのまま使用している。廊下から全ての教室が見渡せるオープンで大きなガラス張りのオランダ式に、一、二階のみリフォームした。