MAGAZINEあそびのもり
#子育て#社会
江戸時代は、世界でも稀な平和国家。300年近くも戦争が起こらなかった。教育面でも、当時訪れた欧米人が驚くほどレベルが高かったといわれている。
「士農工商は身分制度ではない」「寺子屋は自由で多様な学びの場だった」…、知っているようで意外と知らない江戸時代とその教育について、株式会社時代村のユキ社長が教えてくれた。そこには、いまの時代に必要な教育のヒントがたくさん存在していた。
PROFILE
ユキ・リョウイチさん
日光江戸村を営む家に生まれ、おもちゃ代わりに十手やマキビシを与えられて育つ。大学卒業後「何が江戸だ!」と日本を飛び出し、ロックミュージシャンを目指して世界を旅するなかで、自分のアイデンティティの大切さに気付く。やがて江戸を知っていくうちに「江戸のほうがよっぽどロックだ」と感じ、江戸に回帰。2003年に日光江戸村の経営を引き継ぎ、2011年に代表取締役に就任。江戸の街並みを再現した「江戸ワンダーランド日光江戸村」を舞台に、江戸文化を広める活動を展開している。また環境活動家・故C.W.ニコルさんとの親交も深く、その遺志を継いだ里山づくりの活動にも注力。約8年の月日をかけて江戸村周辺の森を里山に育てている。
幕末に江戸を訪れた欧米人たちが残した記録には、世界で一番美しい幸せである微笑みが多いなど、たくさんの誉め言葉が並んでいたという。
「なかでも彼らが特に驚いているのが、日本の教育レベルの高さ。学習能力が高く英語の習得も早いことや、江戸の町だけでなく地方のすみずみまで成熟した社会制度が行き届いていることを、大きな驚きをもって書き残しているのです」(ユキ社長・以下同)
そもそも欧米は封建社会。読み書きは一部特権階級の権利であり、一般人は労働さえしていればいい、という考えのもと、王族や貴族が庶民を支配していた。
「特に欧米の田舎には、読み書きのできない人がたくさんいました。一方、江戸時代には寺子屋制度があり、庶民の教育も大切にされていた。長きにわたる戦乱の時代を終わらせた徳川家康が、二度と戦争を起こさないために創ったのが江戸幕府です」
江戸時代といえば「士農工商」。士すなわち武士がいちばん偉く、そのあと農民、職人、商人と続く身分制度があったと考えられがちだが、その常識も間違っている可能性がある、とユキ社長は語る。
「実は、士農工商とは単なる横一列のいわば職業分類表。そこに上下関係は存在していなかったことが、近年明らかになってきています」
江戸時代の学び場である寺子屋でも、自由な学びが展開されていた。
「寺子屋では、どんな身分の子どもも同じように机を並べていました。そこでは十人十色があたりまえ。教師は子どもをじっと観察しぬいて、特性を見抜き、その子の家柄や家業を踏まえて、それぞれに適切な知恵や学問を与えていました。いわゆる、通りいっぺんの画一的な教育ではありませんでした」
カリキュラムも「読み書きそろばん」だけでなかったという。
「歴史や文化、芸術などの学びが多様に横断的に組まれていました。子どもたちが全員黒板のほうを向いて、同じ内容の教育を受ける。そんなスタイルがこの国のあたりまえになったのは明治以降、ほんの150年ほどのこと。もういちど、子ども一人ひとりに向き合っていた江戸の頃の教育に戻る必要があるのではないでしょうか」
浮世絵に描かれた寺子屋の様子。子どもたちは思い思いの姿勢や方法で学び、大人は少し離れたところから見守っている
江戸時代を貫く教育として知られているのが、小笠原流礼法。時代村では社員研修にも取り入れられている。
「小笠原流礼法とは、いかにして侍(さむらい)の心を育むかという教育です。立つ、すわる、いただく…侍のすべての所作について、お稽古があります。弊社では社員研修として礼法を始めてから10年。これまで6人の門人を輩出し、小笠原家が関わる神事にも参加しています」
小笠原流礼法の起源は、源頼朝が幕府を作るとき、侍精神を育てるための教育カリキュラムとして創ったことにさかのぼる。
「徳川家康が江戸幕府を開く際、この頼朝にならって、将軍になるためにはこの礼法をマスターしなければいけないという決まりを作りました。将軍たるもの美しい侍でなければならない、と。そうして歴代の将軍には専門の教師がついて教育してきました。江戸幕府の背骨にこういう部分があったことが、300年近くにわたる太平の世を作ったのかもしれません。
たとえば、なぜお辞儀をするのか。それは相手への敬意を表し、相手との関係性を作るため。日常の所作は、自分自身のためだけで終わるものではなく、相手あってのもの。相手との関係を作るための訓練でもあります。そこに凛とした静けさ、美しさが生まれます。非常に静かで厳か。言葉をたくさん並べて伝えるのは西洋的な文化。日本人ならではの、相手の心を汲みとることをよしとする感覚は、現代の私たちのなかにもあると感じます」
若い頃にさまざまな国を訪れ、多様な価値観に触れたユキ社長。日本人ならではのアイデンティティを育むための教育カリキュラムを見直すべきだと考えている。
「日本の国の文化や歴史の成熟度には、長い歴史があります。自分自身のアイデンティティがなければ、他人とまっとうに対峙することはできません。江戸時代は世界で唯一、300年近く戦争が起こらなかった時代です。人が幸せになるためのあり方の見本が、江戸時代にはたくさんある。その知見を糧に、よりよい社会づくり、子どもが育つ環境づくりのお手伝いができればと考えています」
日光江戸村では、「弓馬術礼法小笠原流」の日光支教場として、流鏑馬(やぶさめ)用の馬場や弓道場を備えた施設を開設している
ユキ社長は、環境づくりのひとつとして里山づくりにも取り組んでいる。そこには、著名な環境保護活動家・C.W.ニコルさんへの思いがある。生前、「息子にしたいナンバー1」だと言われたこともあるほど、親交が深かった。
「森と木で人を育む活動をしていたニコルさんが2020年に逝去された後、その思いと行動を実質的に引き継ぎ、森を取り戻す作業をコツコツと続けて今年で9年目になります。戦後に大量に植えられた杉やヒノキの人工林では、木々がひょろひょろと育ってしまって隙間がなく、鳥が飛びぬけることができなくなっていました。里山では木と木の間に空間を作ることで、鳥が飛行できるようになり、いままでいなかった鳥もやって来るように。その鳥の糞の中の木の実から芽が吹いて、豊かな環境を作り始めています」
江戸村に隣接したエリアでの里山で、生物の多様性がどんどん広がっている。
2023年には、C.W.ニコルさんが遺したアファンの森と姉妹森に。
ボーネルンドが2025年春に開講した次世代型フリースクール「PLAY CUBE」で、いま協業が始まっている。
「ボーネルンドがあそびを重視している点に、心から共感しています。あそびを楽しむことで、子どもたちの心は開いていく。ボーネルンドには、創業以来ずっと培われて養われてきた独自の世界観があり、その上でより具体的に人を育む、育てる場所を作られた。それがPLAY CUBE。ここには、江戸時代の寺子屋のように、十人十色の子どもたちそれぞれに向き合う学びがあります。
ボーネルンドが大切にしている「こころ・頭・からだ」の考えについても、大きな共感を抱いているという。
「からだと脳は密接につながっていて、からだを使っていかないとあたまも育たないという実感があります。からだをおおいに使う、すなわち、おおいに遊ぶということがすべての学びの基礎になっていくのです」
江戸村では、江戸の文化を通じて子どもたちが楽しめるよう、さまざまな工夫と努力が重ねられている。
「たとえば忍者の立ち回りは、一歩間違えると大けがになるリスクを伴っています。それを1日何ステージも重ねることで、忍者たちはからだも心も鍛えられていきます。お子さまの忍者遊びにも非常に真摯に取り組んでいます」
これまでボーネルンドのあそび場で実施してきた忍者体験イベント「江戸ワンダーランド日光江戸村×ボーネルンド」忍者DoJoに加え、PLAY CUBEではさまざまな構想が動き始めている。
「江戸村ならではの忍者あそびを通じて、楽しく体を動かしながら集中力や創造力を育むプログラムを開発し、より深いあそびを追求できる定期的なコースやアドバンスクラスなども構想しています。
PLAY CUBEは、ボーネルンドの歴史があってこその新しいスタート。その歴史に心からの敬意をはらいながら、今のボーネルンドと私たちでしかできないことを、どんどん追求してやっていけると期待しています」