MAGAZINE

あそびと
非認知能力

Vol.61Summer & Autumn 2024

心の土台であり、生涯の幸福度にも関わる「非認知能力」。この能力は幼児期の「あそび」で育まれるといわれています。聖心女子大学で幼児教育学に携わる河邉貴子先生に、非認知能力の大切さと、あそびとの関わりを聞きました。

お話を
聞いた方

河邉貴子先生聖心女子大学現代教養学部/
教育学科教授、教育学博士。

日本保育学会理事、NPO 法人コミュニティリンク東京理事他。幼稚園教諭、教育行政職を経て、大学にて保育者養成。質の高い保育について探究し続けている。『遊びを中心とした保育』等、著書多数。

「非認知能力」とは自己と社会に関わる心の力

読み書きや計算、記憶などIQで測れるような「認知能力」に対し、数値では表せない心の能力が「非認知能力(社会情動的スキル)」です。非認知能力は、幸せに生きていくうえで心の土台になるとされ、幼児教育の世界では特に注目が集まっています。

多岐にわたる非認知能力は、大きくふたつに分けられます。ひとつめは「自己に関わる心の力」。これは、自分を大切にし、感情を適度にコントロールでき、自己を高めようとする力のことで、自尊心や自信、自己肯定感、「きっとできる」と思える自己効力感などがあります。

ふたつめが「社会性に関わる心の力」。ほかの人を信頼し、うまくやっていくための力で、協調性や思いやりなど、いわゆる社会性ともいわれるものです。

アメリカの経済学者ヘックマン博士は、40年以上にわたる研究の中で「幼児期における質の高い教育が、その後の人生に大きな影響を与える」と唱え、さらに2015年には、この研究結果をもとにOECD(経済協力開発機構)が、幼児教育の重要性に着目したレポートを発表。これにより、心身ともに健康で幸福度が高い人生を送るには、幼児期に質の高い教育環境にあることがなにより大切であり、そこには非認知能力の育成が不可欠だという考えが世界的な流れとなりました。

子どもは主体的な存在で響き合う力を持っている

では、非認知能力を育むといわれる「質の高い幼児教育」とは何か。その前に、まず考えたいのは「子どもは『教えられて初めて学ぶ』、未熟な存在なのか?」という問題です。

赤ちゃんは触れたものを掴んだり舐めたりして、自分の手や口で確かめながら世界を知り、どんどんと進みます。興味を自分で見つけ、積極的に関わろうとする主体的な力が、もとから備わっているのです。人は、教えられなければ学ばない未熟な存在ではなく「生まれながらに主体的に学ぶことができる存在だ」という大前提が必要だと私は考えています。

この主体性は、積極的、消極的といった性格上の問題ではなく、環境との出会いにおいて湧き出し、響き合うもの。響き合いとは、面白いな、きれいだな、もっと知りたいなというような気持ち(情動)が高まるということです。

大人にとっては見慣れたものでも、子どもには見るものすべてが新しく、惹きつけられ、能動的、主体的になります。声を上げて喜ぶ子もいれば、静かにじっと見つめる子、触れようとする子。その情動の表れ方はさまざまでも、響き合う力は本能です。

ですからまずは、なにかを学ばせようと躍起になるよりも、子どもがすでに持っている「やろうとする力」を認めて育てていきたいもの。その最初の一歩が、子どもの視線に気づき「いいね」と認め、一緒に見ることです。

周囲で関わる人の応答が質の高い幼児教育に

幼児教育における「質の高さ」に、「応答的な人的環境」が挙げられます。子どもが目の前の花を「あっ」と指差せば、周囲の大人が「お花が咲いてるね、きれいね」と応える。これが応答です。なんでもないように思えますが、ここには自分の興味に対し、一緒に目を向けてもらえた、寄り添ってもらえたという喜びの体験がともないます。

共感し受け止めてもらった喜びは、もっとやりたいという気持ちを育み、能動的、主体的に知ろうとする意欲になるのですね。その花への関心が高まったり、名前を覚えたり。次第に色の違いや特徴に気づくこともあるでしょう。もしここで、親に無視されてしまったら? 意欲や喜びを感じられないかもしれません。

認知能力と非認知能力は両輪です。幼児期にうれしい、面白い、楽しいという情動が高まり、胸がいっぱいになる経験を重ねることで、興味がつぎつぎに湧き起こり、新しいことを学ぼうとしていきます。子どもにとって「あそび」は、そういった情動が高まる機会であり、それが結果的に認知能力を高めることにもつながるのです。

興味を持ち、関わることで遊び込む体験が生まれる

子どもの興味のためにも、特別な環境を与えなければいけないかというと、決してそうではありません。
子どもは身近なものに興味を持ちます。興味を持てば、自分から関わり、面白いと感じる。それを繰り返すうちに、子どもは自分で関わり方を変える工夫をするようになります。

大人にとっては、いつも同じ公園の同じすべり台では子どもが退屈すると感じてしまいます。しかし、すべり方ひとつをとっても、ちょっと体を曲げてみたり、友達とすべってみたりと子どもが自分で楽しみ方に変化をつけているのを見たことはありませんか? そうやって自分の内側から湧いてくる面白さを見つけながら、とことん遊ぶ。その「遊び尽くす」「遊び込む」という体験が、子どもにとっては大切なことです。

子どもが夢中になっているときは、そっと見守るだけでいいと思います。とはいえ子どもは認めてもらいたい気持ちがありますから、ときどき親の方をチラッと見るかもしれません。そういうときに応答すればいいのです。なにか感想を言うとか、ものすごく褒めようとしなくても、うんうんと頷いてまなざしを送ったり、親指を立てて「いいね!」とジェスチャーを送ったり。それだけでじゅうぶん応答になります。

子どものやる気を引き出す、力量より少しだけ高い目標

夢中になってほしいと思い、新しいあそび道具や環境を与えても、すぐに飽きて投げ出してしまう、うまくできなくて癇癪を起こす……。そういった経験はありませんか。

夢中になるためには、自分の力量よりもほんの少しだけ高い目標に挑戦するというのもポイントです。できなくてイライラしたり投げ出したりするときは、子ども自身が高い目標を設定し過ぎている場合もあるので、大人が上手に誘導してあげてください。子どもと鬼ごっこをするとき、捕まりそうで捕まらない、頑張って走る子どもを見ながら少しスピードを落として「ああ、捕まっちゃった!」というような調整は、誰もが自然にしているのでは? そんな感じで良いのです。

おままごとなら、何度もドリンクを持ってきてくれる子どもに「じゃあ次は、ちょっと苦いコーヒーが飲みたいなあ」と言えば、子どもの目はパッと輝きます。コーヒーに見立てた何かを自分で考えて、入れてくれるかもしれません。大人が少しだけ上の課題や面白さを加えてみる。そうすると、子どもはさらにあそびに夢中になり、より満足できます。

一瞬の興味や関心が遊び尽くすきっかけに

子どもは身近な環境の一瞬一瞬からやりたいことを見つけていきます。特に戸外活動(外遊び)は、その宝庫です。

親にとって、家から公園に行くまでの間は「道中」ですが、子どもにとってはその道すがらも「あそび」です。外を歩けば風が吹き、葉っぱが揺れています。ちょっと水が流れているだけでも興味深いもの。子どもが立ち止まるたびに「ほら、早く公園に遊びに行こう」なんて言いたくなりますが、もうすでにあそびの中にいるのですね。

たとえば子どもが大好きな、どんぐり拾い。最初はただ目の前に落ちているひとつを拾うだけですが、そのうち、持っていたバケツに入れてみよう、と違う行動をともなってきます。そうすると、次はこのバケツいっぱいに溜めてみよう、と自分の目的に向けて拾うようになる。ここで大人が、どんぐりをペットボトルに入れてカラカラと鳴らしたら、「いい音がする」という体験が生まれ、興味が広がるかもしれません。さらには集めたどんぐりを並べたり、なにかに見立てたり、あそびは自然に広がっていきます。

瞬間的な目先の興味が、経験の中で少し先の目的になり、そして長いタームとなる。これは、そうさせようと思って起きることではなく、自然と子どもが主体的に楽しみ、学んでいく表れです。

最初から立派な目的を持って、黙々と遊ぶ子どもはいません。瞬間的な出会いをきっかけに、だんだんと心を奪われて熱中するのです。

あそびに大事なのは、わくわく(湧く湧く)と自分の内側から課題が湧き出てくること。この課題とは、「もっとこうしたい」「こうやってみたらどうかな」と湧き起こる感情です。ですから、まずは興味や関心を持ち、そこに関わってみること。そして子どもが見ているものを一緒に見て共感し、応答する。身近な環境の中で、とことん遊び尽くす。一見当たり前に思えるあそびの中に、非認知能力の育ちは潜んでいます。

では夢中になるならテレビゲームでもいいのかというと、答えは「ノー」。ゲームは「向こうから与えられる課題」がプログラミングされていますから、楽しむというよりも“楽しませてもらっている”状態です。幼児期はゲームで非認知能力が育つとは思わずに、自由に発想や想像を広げていけるような直接的な体験ができる環境を用意してあげてくださいね。

すぐ打ち解ける子、ずっとママの後ろにいる子…タイプはさまざまでも自分以外の世界に関心があるのは、どの子にも共通しています。

あそびから得られるフロー状態で幸福に

心理学者のチクセントミハイは、幸福についての研究の中で「フロー状態」こそが、人生を主体的に生きるための最適経験だと述べました。

フロー状態とは、その活動に深く没入し、ほかの何ものも問題とならない、周囲の評価や意見が気にならない状態。そういったときに、人はポジティブな面白さを感じられるというのです。これは簡単に手に入る快楽的な喜びではなく、なにか目標を持って取り組んでいる活動によって得られるもの。さらに、予測していなかったことを乗り越えれば、その先に「やった!」という達成感や喜びが生まれます。それこそが面白さの本質。誰かによって与えられるものではなく、自分自身が生じさせることに大きな意味があるとチクセントミハイは述べています。

子どもが「わくわくと遊ぶこと」は、まさにこのフロー状態です。自分の内側から興味があふれ出るような没入体験があそびによって得られ、その体験が人生そのものの幸福度につながる。幼児期にその体験を多く重ねる

「学び」も「あそび」も根っこは同じところにある

学ぶとはどういうことか、幸せとはどんな状態を指すのかを根本的に見つめ直す時代が来ています。知識をため込むことが学びではありません。自らの実体験として、人やものとの関わりを深め、生きていくうえで必要な価値を取り入れていくことが学びではないでしょうか。

子どもは主体的に社会に関わりながら、コミュニケーションや世の中のルール、概念を理解していきます。自分が楽しめること、幸せに思えることを見つけていくと同時に、他者にもその気持ちがあることを認め合い、共鳴していきます。乳幼児期におけるこれらの「学び」は、「あそび」にこそ集約されているのです。

文科省はウェルビーイングについて「自分の生きる道だけではなく、家族や友人、自分の住む街・国が、どのようにすれば『良い状態』でいられるのかについて考えること」と定義づけています。

自分の幸せだけを追求するのではなく、相手にも大切にしたい人生があると知り、それを共感し認め合っていく。自分にできるかたちで人に貢献し、それが社会のかたちとなって自分にも返ってくる。そうやって、より良い社会は生まれていきますし、その原体験は、乳幼児期にあるのだと思います。

一方で、非認知能力は学習できるものとも位置づけられています。幼児期に育む大切さはもちろん、大人もこの先、高めていける能力です。ぜひ子どもと一緒に楽しいことをたくさん見つけ、夢中になる経験をしてください。実際に見て、触って、共感して。丸ごと味わうような経験が、幸せに生きる糧となるはずです。

Writer: Akari Fujisawa, Cover & Photos: Tomoya Uehara,Illustrations: Tokuhiro Kanoh, Stylist: Rina Taruyama, Hair&Make-up: Aoi Nagasawa,?Models: Itto, Ema and Kotaro