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自分の「好き」をとことん貫こう!①

自由にやらせていて、
なぜわがままに
ならないのか

#探究学習#利他#あそび

『自分の「好き」を見つけ、わくわくと夢中になる喜び。その大切さを実感する一方で、「好き」を貫くことが、ときとして「自分勝手」「わがまま」と捉えられることも。
自分の好きを追究する「利己」は、他者の利益を願う「利他」と共存できるのでしょうか。
探究学習研究の第一人者である苫野一徳先生にお話を伺いました。

苫野一徳先生哲学者・教育学者/熊本大学大学院教育学部准教授

早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。経済産業省「産業構造審議会」委員、熊本市教育委員のほか全国の自治体や学校でアドバイザーを歴任。著書に「親子で哲学対話」ほか多数。2児の父。

早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。経済産業省「産業構造審議会」委員、熊本市教育委員のほか全国の自治体や学校でアドバイザーを歴任。著書に「親子で哲学対話」ほか多数。2児の父。

「自由」とは、自分で選択と決定の実感を得られること

私たちは誰もがしあわせに生きていきたいと願い、暮らしています。子どもたちに対しては、より強く感じているはずです。では、そもそも「しあわせ」とは何でしょうか。私は「自由」、これに尽きると考えています。
自由とは、自分が生きたいように生きられているという実感、そして誰かの指図ではなく自分で人生の選択や決定をしていると感じられることです。
同時に、自分にとっての「自由」が「他者にもある」と理解し、認め合えることも大切です。私はこれを「自由の相互承認」と呼んでいます。
つまり、自分が生きたいように生きていくけれど、わがまま放題ではなく、相手も同じようにそう感じて生きていけること。これこそが、しあわせな社会です。
そして「あそび」には、この基盤を育むためのすべてが詰まっています。自分で好きなことを選び、やりたいように決められる。夢中に遊ぶとは、そういうことです。

相手を尊重する気持ちはどうやって育つ?

ここで生まれるのが、自由にやらせていて、なぜわがままにならないのかという問いです。あそびの場で、どんなに自分が夢中で楽しもうとも、遊具をひとり占めしてしまったり、自分の行動が相手にとっての不快や危険につながったりするようでは困りますね。自分の思いだけを押し通すのではなく相手も尊重する「他者を思いやる気持ち」、すなわち「利他」の心は、どうしたら育んでいけるのでしょうか。
実は、これはとてもシンプルです。人は、やりたいことを自分で選び、それを尊重してもらうという経験を重ねることで、他の人のことも尊重できるようになります。逆に言うと、「あれをしろ」「これをするな」と指示や制限ばかり受け続けていると、他の人のことを認められないように成長してしまうのです。

「あれダメ、これダメ」を言い過ぎると…

こんなシーンに心当たりはありませんか?子どもが夢中で遊んでいたのに、別のお友達が入ってきたのを見て、「どうぞ、って譲ろうね」と口を挟み中断させてしまう、あるいは、どこかに登ろうものなら「あぶない!」と止めてしまう。大人は、お友だちとケンカにならないように、ケガをしないように……と、大切なわが子につい「転ばぬ先の杖」をつこうとします。しかし、これでは無菌室で育てているのと同じで、抵抗力のない子どもを育てているようなものです。
トラブルを回避しようと、あれダメ、これダメと言い続けることで、子どもはどんどん他罰的、他責的な考えになっていきます。友だち同士で「あーあ、これしちゃダメなのに!」「先生に言いつけるぞ」と、お互いに牽制し合い、罰し合う文化が醸成されてしまう。結果、「相手を尊重する」とは真逆の方へ向かうことになりかねません。
哲学者、ルソーの教育論『エミール』に、こんな一説があります。あれをするな、これをするな、あれをしろ、これをしろ、とばかり言われて育った子どもたちは、そのうち、息をしろ、と言わないと呼吸すらできなくなるぞ心配するあまりに指示や制限ばかりをかけていると、人のことを認めて尊重できなくなるばかりか、指示を待つだけの他人軸で生きるようになってしまいます。しあわせに生きてほしいと願っていたはずなのに、子どもは自分の人生を自分で切り開いていけなくなる。これは大きな問題です。

そのままでいいよと尊重されることで利他の精神が育ちます

子ども時代には、自分のやりたいことを選択し決定していく、そしてそれを「いいね、あなたはそのままでOKだよ」と認めてもらえる経験をたくさんしてほしいと思います。のびのびと、たくさん遊んでほしいのです。
そもそも、友だちとトラブルが起こることは、いけないことでしょうか? トラブルや失敗があるからこそ、人は学び、成長していけます。最初からトラブルも失敗も取り上げてしまっては、それは成長の機会を奪っているのと同じです。
公園に集う子どもたちを見ていると、自己紹介もせず一緒に遊びだし、自然と仲良くなっていることが多々あります。子どもは異年齢や初対面でも気にしません。それを大人が「ほら、お兄ちゃんの邪魔しないの」「おもちゃ借りたら迷惑でしょ」と制してしまうのは、子どもの成長よりも親同士の目を気にしているからでしょうか。
公園のような子どもたちが集まる場では、多少のケンカや少々のケガは「おたがいさま」。そんなふうにお互いを受け入れられたら、子どもはもっと成長でき、あそびを通じて夢中になる経験を深めていけそうです。そのためにも、親同士が会話のなかで、「子どもはケンカするけど、これも経験だね」「少し擦りむいちゃったけど、うちの子はこれで体の使い方を覚えたと思うから気にしないで」。そんな投げかけをしてみるのはどうでしょう。身近なところから、少しずつマインドを共有していくことも、社会を変えるきっかけになるのではと思います。