MAGAZINE

江戸時代の寺子屋は、
探究学習実践の場だった!

江戸時代の寺子屋に見る、
師匠と子どもたち

#寺子屋#江戸時代#多様性

ボーネルンドとともに、次世代型探究施設『PLAY CUBE』を運営する時代村。
江戸時代の寺子屋教育にも詳しいユキ リョウイチ社長がそこで展開されていた探究的な学びや師匠(先生)について教えてくれました。

ユキ リョウイチ氏株式会社時代村
代表取締役社長

日光江戸村を営む家に生まれ、おもちゃ代わりに十手やマキビシを与えられて育つ。2011年に代表取締役就任。江戸の街並みを再現した「江戸ワンダーランド日光江戸村」を舞台に、江戸文化を広める活動を展開。

日光江戸村を営む家に生まれ、おもちゃ代わりに十手やマキビシを与えられて育つ。2011年に代表取締役就任。江戸の街並みを再現した「江戸ワンダーランド日光江戸村」を舞台に、江戸文化を広める活動を展開。

幕末の頃に西洋人が残した文章を読むと、彼らは一様に江戸の人たちの語学力の高さに驚いています。「学ぶ力」があったのでしょう。江戸だけでなく日本の津々浦々に寺子屋がありました。江戸時代の錦絵には寺子屋を描いたものが多く残されています。その頃に来日した西洋人が描いた絵もあります。共通して描かれているのは、自由奔放に好きなことをしている子どもたちと、それを観察する師匠(先生)の姿です。

  • 錦絵に残された江戸の寺子屋の様子。字を書いたり書物を読んでいる子もいるが、友達と遊んだり踊っているような姿も見られる。右上と左上に座る2人の師匠(先生)はそれを注意するでも指導するでもなく、多様な教科書を背にじっと子どもたちを観察。それぞれの個性を見極めている。寺子屋には好きなことから探究心を沸き立たせる教育があったことがわかる。「子の能力を見抜けないものは、師にあらず、なのです」(ユキ社長)

寺子屋では、元お侍さんだったり元庄屋さんだったりが年齢関係なく、自分の社会経験を生かして、教壇に立っていました。まずは子どもたちをじっくりと観察し、自由に遊んでいる姿からそれぞれの特性や能力を見抜き、見合った教科書を与えていました。教科書の種類は、算術や歴史など7,000以上もあったと言われています。まさに一人ひとりの「個」を尊重する教育です。

特に幕末には急速に西洋化を求められることになり、来るべき時代に対応できる人間たちを育てなくてはならないと、心ある殿様やお侍さんがさらに寺子屋や藩校を作り始めるというムーブメントもありました。社会への対応力や実践力、そして人間力を養うための学校として、そこでも師匠は社会経験のあるお侍さんや学者でした。

  • 西洋人が描いた寺子屋の様子。ここでも子どもたちの自由奔放な様子が見られる。「みんなやりたい放題ですよね、犬と遊んでいる子もいます」(ユキ社長)

私たち時代村とボーネルンドで手掛けている『PLAY CUBE』でも、教員資格をもった先生のほか、我々の事業を経験した社会人、ボーネルンドの現役社員、プレイリーダーも師匠役を担っています。僕らの社会経験を通して共に探究活動をやっていければ、そこから育つ子どもたちは必ず変わる。『PLAY CUBE』の存在意義もそこにあると考えています。好きなことばかりしていて社会性は育つのか。そんな不安を持つ必要はないと思います。社会性とはすなわち、「助け合い」。調和を目指してルールを守れる子に育てるのではなく、「どうしたら人を助けられる子に育つのか」ということにシフトできると良いのではないでしょうか。

筆子塚を知っていますか

筆子とは生徒という意味。筆子塚は生徒が寺子屋の師匠を忍んで立てた塚で、日本全国に残っています。ある人が千葉県で筆子塚をくまなく捜したところ、3,350個も見つかったそうです。少なくとも3,350人の師匠が生涯にわたり慕われ続けたというわけです。ちなみに最新の研究では、幕末の日本には寺子屋などの学びの場が約5万もあったと推察されています。いまは小中高合わせて約3万校。人口比率からしてもすごい数です。

  • 全国の寺院や墓地の一角に残されている筆子塚(写真は東京都内の寺院)